小宮秀一について

小宮秀一

1961年千葉県生まれ。A型。独身。
店長トレーナー、およびソフトウェアを作って売るセールスプログラマ。
元パソコンショップ店長。
初めて店長を勤めた店は、ゼロから年商25億円の店を立ち上げた。でも、一度潰しかけたのは内緒。

賞罰は、秋葉原電気街振興会第1回優秀販売員コンテスト優秀販売員賞。
資格は、日商2級販売士、MOT(マイクロソフト・オフィシャル・トレーナー)、NEC公認インストラクター、防火管理者を持っているが、全て会社命令で取ったものなのでありがたみはない。
趣味は、活字を読むこと(SF、スポーツ関連、音楽関連、パソコン関連など)、音楽を聞くこと、音楽を作ること、パソコンを作ること、プログラムを作ることなど、インドアでオタクなものばかり。店に関わってなければ、間違いなく引き籠もりになっていたはず。
特技は、ギター、キーボード演奏。テクニックより、大抵の曲は聴いただけでコードがわかるという耳の良さが自慢!
座右の銘は、優柔不断、朝令暮改。

プログラム暦

’82年。最初に触れたプログラム言語はSharpBASIC。入社した半月後、会社がパソコン売場を立ち上げることになって研修で学んだ。パソコンが市場に登場した頃、パソコン販売員にとってBASICのプログラミングは必須の商品知識だったのだ。もっとも、当時の中心はMicrosoftBASICだったのだが。教え方が良かったせいか、プログラミングには個人的にも興味を持った。

「本当にパソコンを理解したいならアセンブラをやれ」と、お客さんに言われてZ80のアセンブラをはじめた。お客さんの言うとおり、この知識は後々まで公私両面で役に立った。

’84年。私のプログラム歴において最大の出来事はTurboPascalだ。今では当たり前の統合開発環境、ハードウェアにも直接アクセスできた。コンパイルは信じられないほど速かった。今のBorlandしか知らない人には信じられないだろうが、TurboPascalの入門マニュアルは秀逸だった。私はプログラムの基礎を、ここから学んだと言っても過言ではない。やればできるはずだから、文句も言いたくなるのだ。

そして当然のように、TurboファミリーであるTurboCにも手を出した。パソコン雑誌の多くが「これからはCだ」を盛んに煽っていたためでもある。Turboシリーズでたくさん小さなユーティリティを作った。

パソコン通信が普及し始めてしばらくたった’91年、自分でBBSを運営したくなった。私はパソコン販売員だから、もっともらしい理由を並べてたてて、自社BBSを立ち上げた。

最初は既存のホストプログラムを使っていたが、すぐに機能に不満を持ち始め、自分で作ることにした。BBSのメンバーだったプログラマの方にマルチイベントライブラリを書いてもらって、擬似マルチタスクで9回線対応のホストプログラム「kosh」を仕事の合間を縫って書き上げた。私が初めて作った大規模なプログラムだ。使ったのはBorlandC++とTurboAssembler。一部でTurboPascalも使った。TurboAssemblerはシリアルドライバを書くために使った。ちなみに、返信屋のアイデアはこの頃に生まれた。このホストプログラムに組み込んで使っていた。

キャリアを重ねて管理の仕事をやるようになると、データベースプログラミングが私の興味の中心になった。パソコン担当なので、どんな高いソフトでもサンプルがあって、自由に試すことができた。その中から選んだのが管理工学研究所の「桐」だった。桐のおかげでどれほど仕事が楽になったか。今でも感謝している。

’91年6月。VisualBasicは、TurboPascal以来の衝撃だった。

それまで何度かWindowsでのプログラミングには挑戦していた。C+SDKや、TurboPascal for Windowsでだ。ただ、難しかった。正直、さっぱりわからなかった。Windowsプログラミングは、もはや素人のものではないのかもしれないと思い始めていた。そんな状況で見たからなおさら衝撃だった。英語版だったが、すぐに買ってしまった(実はVisualBASICを買ったのはこれが最初で最後)。BASICにはそんなに経験がないので、ぶっちゃけ、思うようにプログラムは作れなかった。ただ、ここでBASICを経験したおかげで、AccessVBAにすぐに入れたのだから文句は言えない。

’95年。そして私の母言語、Delphiの登場である。米国のパソコン雑誌で知った。すぐに輸入することを決めて発注した。もちろん、最初に買ったのは私である。もしかしたら、日本国内で最初にDelphi買ったのは私かもしれない。幸い売上も良かった。

今はどうか知らないが、当時のパソコン販売員にとって、米国のパソコン雑誌に目を通すのは基本である。パソコンの本場なのだから当たり前である。英語はわからなくても、パソコンの専門用語は英語なので何とかなるものだ。

Delphiはカンタンにデータベースにアクセスできた。データベースをMicrosoftAccessに移行していた私には非常に幸いだった。私のプログラム歴の上で、初めて趣味と仕事が一致した瞬間である。

現在の母言語はやはりDelphi。不満はたくさんあるが、それでも手になじんだ道具はそうカンタンには捨てられないものである。

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